明治5年(1872)3月25日(旧暦2月17日)、
筑摩県馬籠村(後の長野県西筑摩郡神坂村、現岐阜県中津川市馬籠)に生まれる。
本名島崎春樹(しまざき はるき)
生家は江戸時代、本陣、庄屋、問屋をかねた旧家。
父正樹、母ぬいの間の末子。
明治14年、9歳で学問のため上京、同郷の吉村家に寄宿しながら日本橋の泰明小学校に通う。明治学院普通科卒業。
卒業後「女学雑誌」に翻訳・エッセイを寄稿しはじめ、明治25年、北村透谷の評論「厭世詩家と女性」に感動し、翌年1月、雑誌「文学界」の創刊に参加。
明治女学校、東北学院で教鞭をとるかたわら「文学界」で北村透谷らとともに浪漫派詩人として活躍。